大阪築古大家の経歴

不動産が最強!

私は大阪で不動産仲介業を営む傍ら築古の戸建やアパートを再生させて賃貸に出す不動産賃貸業を営んでいます。

2005年にマレーシアに移住して貿易業を営む傍らマレーシア不動産に投資して現地で不動産賃貸業を営んでいました。

2016年より約10年間のマレーシア生活にピリオドを打って帰国し現在は大阪を拠点として大家業に奮闘しています。

マレーシア不動産とは勝手が違うので日々悪戦苦闘しつつ勉強中。

失敗も多いですが、人様に住まいを提供する大家業はとてもやりがいのある仕事だと感じています。

現在まで数々の投資を経験してきましたが、不動産投資が投資の王道であり、最強の投資であると断言できます。 自己紹介として、私がこれまでに辿ってきた道のりを簡単にお話しておきます。ご興味なければ読み飛ばしていただいても全然OKです。

バイト三昧の学生時代

1965年4月生まれの現在59歳です。生まれは大阪府吹田市ですが、幼稚園から大学卒業までは高槻市に住んでいました。

決して裕福な家庭ではなかったので中学生の頃からバイトに励み、大学生の頃は、自分の稼ぎと奨学金のみで学費を賄っていました。

初めてのバイトは、中学1年生の時。私の父親が大工をやっていたので、夏休み期間中に手伝ってその報酬として小遣いをもらったのが初めての就労体験です。

夏の建築現場の酷暑は当時の私としては初体験なので、最初の2~3日は、この仕事を引き受けたことを後悔しましたが、若い体は慣れるのも早くて、夏休みも中盤に入る頃は、肉体労働も筋トレの一種ととらえて結構楽しみながらやっていたことを今でも鮮明に覚えています。

そして、報酬を受け取った時の喜びと言ったら… 13歳の少年が数万円の現金を手にする機会なんて滅多にないですから、うれしくて何度もその一万円札を数えていました。

労働の対価として報酬を受け取る喜びを知った夏でした。 その後も、中学、高校を通して新聞配達、警備員、スーパーの売り子、食品工場、ドラッグストアなど、そして大学時代はパブや居酒屋のホール係、スナックのバーテンなどの水商売まで、数々の仕事を経験しました。

バブル崩壊

学生の頃からそんな勤労生活を送っていたのでお金に対する執着が強く、就職先は89年当時バブル真っ盛りで飛ぶ鳥落とす勢いだった証券会社に入社。

しかし、忘れもしない1989年12月29日に日経平均が最高値の38,915円をつけたその後、平成の大暴落に突入し、日本は長い長い不況へと入っていきました。いわゆる失われた30年の序章ですね。

バブル崩壊後の証券業界は悲惨そのもので、残業手当が削減されてサービス残業になり、賞与はつるべ落としのように年々下がっていきました。

バブル崩壊末期には、賞与と呼べるような額ではなく、寸志といった感じでした。賞与額が基本給の半分程度と言えばだいたい想像がつくでしょうか。 私が入社した当時は、5年先輩の社員の年収が軽く1千万円を超えていたのに、それも10年程度かけて3分の1くらいに減らされました。1千万円超の年収が200~300万円になってしまったんです!バブル崩壊恐るべしです。

会社の未来は絶望的

会社は青息吐息で赤字を垂れ流し数年ごとに希望退職を募る状態が続きました。希望退職以外でも会社の未来に絶望した若い人材が次々と辞めていきます。

そうやって次々と社員が辞めていき残された社員の負担は増えていきます。収入は下がる一方なのに逆に仕事は忙しくなる。そんな状態が続きました。

特に私がいた部署は、海外部門だったので早朝から深夜まで忙しく、今で言う超ブラックという感じです。

当時はブラック企業なんていう言葉はありませんでしたが、今から思うと私が当時勤めていた会社は超が100個ぐらいつく筋金入りのブラック企業でしたね^^;

毎朝、6時半には出社して7時には会議が始まり、夜遅くまで働いていました。忙しすぎて昼食を取れなかったことも数知れず…

深夜に帰宅してやっと眠りについたと思ったら3時頃に仕事の電話でたたき起こされ、その夜は眠れずそのまま朝6時半には出勤、夜遅くまで働かされる…

早朝のまだ暗い時間に出社して深夜帰宅する毎日だったので普段はあまり太陽の光を浴びることがない状態でした。

それだけ働いても働いても残業代は実際にやった分の100分の1程度しかもらえませんでした。いや残業代ゼロのときの方が多かったかもしれません。

当時は「失われた30年」といわれた平成不況まっただ中。「残業代なんか払ってる余裕がどこにある!」というのが会社の言い分。 同僚の中には、体を壊したり、精神病を病んだりして辞めていった者も大勢います。

複数の収入源

そんな超ブラック企業に依存した生活に危機感を覚えるようになり、私は会社に頼らなくても生活していける術を模索し始めたのです。

まず、試してみたのはサラリーマンという立場をフルに生かせる不動産投資でした。頭金だけ用意してあとは銀行から融資を受けて、いくつか物件を購入していきました。

そして、不動産の次はもっと積極的に稼げる手段を求めていくつかビジネスも試みました。(もちろん会社には内緒ですが)

試行錯誤を繰り返しながらも、ビジネスと不動産からの収益が会社の給料をはるかに超え、そろそろ会社を辞めても食っていけるかな… と思い始めた頃、長引く不況のあおりで青息吐息だった会社が、タイミングよく希望退職を募ったのです。

ベストタイミング^^ 今辞めれば、通常の退職金に加えて割増退職金がもらえる!しかも、会社都合の退職なので失業手当も長くもらえる♫ 私は迷うことなく希望退職に応じ、14年間のサラリーマン生活にピリオドを打ったのです。

アジア放浪、そして海外移住

退職後は、新たなビジネスを立ち上げたり、ビジネスチャンスを求めて3年間ほど東南アジア各国を放浪したりと、好きなことをやっていましたが、放浪中にたまたま訪問したマレーシアで現在の妻と出会いました。

マレーシアを最後に放浪の旅を終えた私はそのままマレーシアに定住し、現地で現在の妻と結婚し彼女の生業である貿易業や私が現地で挑戦したかった不動産賃貸業を始めました。

海外不動産で資産を築きサイドFIRE

当時のマレーシアは景気が絶好調で、不動産は買ったらすぐに2割~3割と値上がりして、5年も持ち続ければ2倍~3倍の値段で売れました。今となってはとてもいい時代でした。

日本の物件を売却して、その資金でマレーシアの不動産を買っていき賃貸に出す、もしくは売却する、というスタイルだったので現地での物件数は常に5~6戸程度でしたが、それらの賃料と貿易業、ネットビジネスの収入で生活はできていました。

貿易業も仕事の7割程度はネットで完結するので、実際に仕事に拘束される時間は週に2~3時間程度です。なのでこの頃の私たちはサイドFIREの状態だったと思います。

ロバート・キヨサキを読み漁る

当時は時間があり余るほどあったので、ロバート・キヨサキやロバート・アレン、ブライアン・トレーシーなどの成功者の著書を毎日読み漁っていました。

特にロバート・キヨサキの本は、日本語に訳されていないものまで含めてすべて読破しました。とにかく当時はおもしろくて昼夜を問わず読みふけっていました。

特に不動産について書かれた箇所は何度も何度も繰り返し読んでいました。私なりに解釈して、やはり投資の王道は不動産であり、不動産投資が最高という結論に至ったのです。

ちなみにキヨサキ氏は、不動産だけではなく、株式やワラント、オプションなどの派生商品やビジネスへの投資にもページを割いて細かく解説しています。しかし世界の億万長者はほとんど例外なく(キヨサキ氏も含めて)不動産で財を成しているのでやはり不動産が最強でだと今でも信じています。

キヨサキ氏の教えは、アメリカの不動産市場を想定しているので日本では通用しないと言われていますが、その考え方自体はとても参考になります。日本人が読んでも十分に得るものはあると思います。

子育てと療育

2009年には長男、2013年には長女を授かり、マレーシアでの生活は、子育てのため、にわかに忙しくなっていきました。

特に長男が2歳の頃、軽い発達障害があることがわかり、いい病院や療育機関を探してあちこち走り回る毎日でした。3歳になる頃には、いい療育機関も見つかり、長男の状態も落ち着いてきたので国内外に旅行に行ったり、映画館やカラオケに行ったりと少し余裕を持てるようになりました。その後、長女が生まれてまた忙しくなるのですが…

長女が生まれた後、子供たちの教育や療育を真剣に考えた結果、日本に帰って日本の教育、療育を受けさせるという結論に至り帰国を決意。 2016年に10年間のマレーシア生活にピリオドを打ち実家のある大阪に戻りました。

大阪で築古不動産投資開始

今度は逆にマレーシアの物件を売却して日本で築古の戸建てを買い進めていきました。帰国した当初、私は既に50歳を超えていたので当然金融機関は相手にしてくれません。築古戸建のキャッシュ買い一択です。

買った物件にリノベーションを施して賃貸に出し、マレーシアにいた頃と同じく不動産賃貸業を本業にしました。

最初は小さな格安ボロ物件から始めて、リノベーションを施して賃貸に出すという手法です。

DIYも経験し、リフォーム業者や建築会社との交渉、分離発注や施主支給など、工事費用を安くあげる方法も独学で勉強していきました。 夜逃げや入居者とのトラブル、裁判沙汰まで経験し、賃貸経営、大家業のイロハをひとつひとつ実戦で学んでいきました。

個人事業主として融資を受けることに成功

帰国後3年経った頃には、戸建て物件5戸の大家になっており、その実績を金融機関が評価してくれて融資も引けるようになりました。 融資を活用して戸建や築古アパートを購入し続け、2020年には宅地建物取引士の資格も取得し、現在は業務委託で不動産業も営んでいます。

生涯現役

一度はマレーシアでサイドFIREしてセミリタイア生活に入ったものの、やはりやりがいのある仕事より楽しいものはないと実感し、現在は「大家業と不動産業で生涯現役!」がモットーです。 2024年4月現在、戸建9戸、アパート2棟(6世帯と4世帯)を運営しています。

自営業者でも50歳超えていても融資は引ける

私のように会社の後ろ盾がない自営業者、個人事業主でも金融機関から融資を引いて大家になることはできます。

世の中にはサラリーマン大家さんのブログやノウハウ本は数多くありますが、私のような自営業者やフリーランスが金融機関から融資を引いて不動産を購入するノウハウはあまり出回っていません。 しかも還暦間近の老いぼれ自営業者です。そのような一般的に融資を引きづらいと言われている属性の人に私の体験が参考になればうれしいです。

タイトルとURLをコピーしました